トークン化証券(STO)の法務・コンプライアンス課題:既存金融規制との整合性と実務的対応
はじめに
ブロックチェーン技術の金融分野への応用は多岐にわたりますが、中でもトークン化証券(Security Token Offering、以下STO)は、従来の有価証券をデジタル化し、ブロックチェーン上で発行・流通させる新たな形態として注目を集めております。この技術は、市場の流動性向上、取引プロセスの効率化、コスト削減といった潜在的なメリットを有しますが、同時に金融機関の法務・コンプライアンス部門にとっては、既存の金融規制との複雑な整合性、新たなリスク評価、そして実務的な対応策の構築が喫緊の課題となっております。
本記事では、STOが金融機関にもたらす主要な法務・コンプライアンス上の課題を深掘りし、金融商品取引法をはじめとする国内法制の適用関係、国際的な規制動向、そしてAML/CFT(マネーロンダリング・テロ資金供与対策)や顧客資産保護といった観点からの具体的な対応策について解説いたします。
トークン化証券の法的性質と既存規制の適用
STOを理解する上で最も重要なのは、その法的性質を明確にし、既存の金融規制の枠組みにどのように位置づけられるかを判断することです。
1. 金融商品取引法上の「有価証券」該当性
日本の金融商品取引法(以下、金商法)においては、STOの対象となるトークンが「有価証券」に該当するかどうかが第一の論点となります。2020年5月に施行された改正金商法により、「電子記録移転権利」が新たに定義され、ブロックチェーン上で発行される一部のデジタルアセットが金商法上の有価証券として位置づけられることになりました。具体的には、電子的に記録され、移転される財産的価値のうち、投資性・換金性があるものが対象となります。
- 「電子記録移転権利」への該当性: ブロックチェーン技術を用いて発行された財産的価値が、金商法第2条第3項に規定される電子記録移転権利(いわゆる「みなし有価証券」)に該当するかどうかが、規制適用の分水嶺となります。特に、集団投資スキーム持分に類似する性質を持つトークンは、この類型に該当する可能性が高いと考えられます。
- 第一項有価証券への該当性: 一部のSTOでは、株券や社債といった従来の第一項有価証券の性質をそのままブロックチェーン上で表現するケースも考えられます。この場合、当然ながら金商法上の厳格な規制が適用されます。
金融庁の「デジタル・アセットに関する検討会」等の議論では、トークンの実態に応じた規制の適用が重視されており、名称や技術形式に依らず、その経済的機能や投資性に基づいて判断がなされる傾向にあります。
2. 国際的な法的アプローチ
各国・地域の規制当局もSTOに対して異なるアプローチをとっております。
- 米国: 証券取引委員会(SEC)は、Howeyテストを用いてトークンが「投資契約」に該当するかを判断しており、多くのSTOが証券規制の対象となるとの見解を示しております。
- 欧州: 欧州連合(EU)では、MiCA(Markets in Crypto-Assets)規則が導入され、暗号資産の包括的な規制枠組みが構築されつつあります。STOは既存の証券規制またはMiCAのいずれかに該当するか、その境界線が議論されております。
金融機関は、国内法制に加え、国際的な取引が想定されるSTOにおいては、関係国の規制動向も継続的にモニタリングし、クロスボーダー取引における法的リスクを評価することが求められます。
主要なコンプライアンス課題
STOは、その革新性ゆえに、既存の金融コンプライアンスの枠組みに新たな課題をもたらします。
1. AML/CFT(マネーロンダリング・テロ資金供与対策)
ブロックチェーンの特性である匿名性や迅速なグローバル送金能力は、AML/CFTの観点から特に注意が必要です。
- トラベルルールへの対応: FATF(金融活動作業部会)は、仮想資産サービスプロバイダー(VASP)に対して「トラベルルール」(送金人・受取人情報の取得・通知義務)の遵守を求めております。STOの取引においても、発行者やプラットフォーム運営者はこのルールに準拠し、取引情報の管理を徹底する必要があります。
- KYC/CDD(顧客確認/顧客管理)の厳格化: 法務部門は、STO参加者に対するKYC/CDDプロセスが、従来の有価証券取引と同等かそれ以上に厳格に行われていることを確認する必要があります。特に、スマートコントラクトを利用した取引においては、参加者の特定がより複雑になる可能性があり、ブロックチェーン上のデータと実世界の個人情報を紐づける仕組みの構築が求められます。
- 取引モニタリング: ブロックチェーン上での疑わしい取引パターンを検知するための高度な取引モニタリングシステムの導入と運用が不可欠です。
2. 顧客資産保護
デジタル化された証券は、従来の物理的または電子記録上の証券とは異なるリスクを内包しており、顧客資産保護の観点から新たな検討が必要です。
- カストディ(保管)に関する課題: STOのカストディは、ブロックチェーン上の秘密鍵の管理に直結します。秘密鍵の紛失、盗難、ハッキングのリスクは、顧客資産の喪失に直結するため、堅牢なセキュリティ体制と技術的対策が不可欠です。また、分別管理の原則をブロックチェーン上でどのように実現するか、法的・技術的な解釈が求められます。
- スマートコントラクトの脆弱性: STOの発行条件や権利行使等を自動化するスマートコントラクトは、そのコードに脆弱性がある場合、予期せぬ結果や資産の喪失を招く可能性があります。金融機関は、発行前にスマートコントラクトの厳格な監査を実施し、潜在的なリスクを評価する義務があります。
- 破綻時の対応: 発行体やカストディアンが破綻した場合の顧客資産の扱い、優先順位付け、差押え等の法的整理は、ブロックチェーン上の資産特有の課題として検討が必要です。
3. 市場の公正性・透明性
STO市場においても、従来の証券市場と同様に、公正性・透明性の確保が不可欠です。
- インサイダー取引・市場操作: STOにおいても、未公開情報を利用したインサイダー取引や、価格を不当に操作する市場操作のリスクが存在します。取引監視体制の強化や、これら行為を未然に防ぐための社内規定の整備が求められます。
- 取引所の規制と監督: STOの流通を行うプラットフォームや取引所は、金商法上の第一種金融商品取引業者の登録を要する場合があります。その場合、高いレベルのシステム要件、内部管理体制、情報開示義務等が課せられます。
4. セキュリティリスクとシステムの安定性
ブロックチェーン技術の利用は、サイバーセキュリティリスクの新たな側面をもたらします。
- サイバー攻撃への対策: ブロックチェーンネットワークや関連システムに対するDDoS攻撃、51%攻撃、秘密鍵の窃盗など、多様なサイバー攻撃のリスクが存在します。高度なセキュリティ対策の導入、定期的な脆弱性診断、インシデント対応計画の策定が必須です。
- 技術的障害とシステムダウン: 基盤となるブロックチェーンネットワークの障害、スマートコントラクトのバグ、システム間の連携不具合などが、取引の停止や資産の損失を招く可能性があります。継続的なシステム監視と障害発生時の迅速な復旧体制の構築が求められます。
金融機関における実務的対応とコンプライアンス体制構築
上記のような複雑な課題に対応するため、金融機関は以下のような実務的対応とコンプライアンス体制の構築を推進する必要があります。
1. 法務・コンプライアンス部門の役割と体制強化
- 専門知識の深化: 金融規制に関する深い知識に加え、ブロックチェーン技術、暗号資産、スマートコントラクトに関する技術的理解も深める必要があります。外部の専門家との連携も有効な手段となり得ます。
- 部門横断的連携: 法務・コンプライアンス部門は、ビジネス部門、リスク管理部門、システム開発部門と密接に連携し、STO関連プロジェクトの企画段階からリスク評価、規制対応を一体的に進めることが重要です。
2. 社内ガイドライン策定のポイント
STOに関する社内ガイドラインの策定は、リスク管理とコンプライアンス体制の基盤となります。
- リスク評価基準の明確化: STOプロジェクトのリスクを評価するための具体的な基準(例:トークンの法的性質、発行スキーム、技術的側面、取引相手のリスクなど)を定める必要があります。
- 業務プロセスの標準化: STOの発行、募集、流通、カストディに関する各業務プロセスにおけるコンプライアンス上の留意点、承認プロセス、責任範囲を明確に規定します。
- 従業員への教育: STOに関する規制やリスクについて、関連部門の従業員に対して定期的な研修を実施し、意識向上を図ります。
3. グローバル規制動向へのキャッチアップと国際連携
STOは国境を越える特性を持つため、グローバルな規制動向への迅速なキャッチアップが不可欠です。FSB(金融安定理事会)やFATFなどの国際機関が公表するレポートやガイダンスを継続的に分析し、国内法制との整合性を検討する必要があります。また、国際的な法執行協力の可能性も視野に入れ、必要に応じて海外当局との情報共有の枠組みを理解しておくことが望ましいでしょう。
結論
トークン化証券(STO)は、金融市場に大きな変革をもたらす可能性を秘めている一方で、大手金融機関の法務・コンプライアンス部門にとっては、多岐にわたる複雑な課題を提示しております。これらの課題に対処するためには、既存の金融規制に対する深い理解に加え、ブロックチェーン技術の特性とそれに伴う新たなリスクを正確に評価する能力が求められます。
金融機関は、単に規制に受動的に対応するだけでなく、能動的に規制当局や業界団体との対話に参加し、実務に即した健全な規制環境の構築に貢献することが期待されます。また、社内においては、部門横断的な連携を強化し、堅固なコンプライアンス体制とリスク管理フレームワークを確立することで、STOがもたらすビジネス機会を安全かつ持続可能な形で追求することが可能となると考えられます。